長生きしたくないのに、長生きしている日本人
厚生労働省は毎年老人の日に百歳以上の高齢者の人数を発表していますが、 昨年は90,526人、2023年は本日92,139人と発表されました。これは、日本人の平均寿命が、伸びている証拠といえます。
しかしながら、100年生活者研究所の調査だと、「人生100年時代」と言われて久しい今でも「100歳まで生きたい」という人は、3割に届きません。(参考 : https://well-being-matrix.com/100years_lab/posts/100_230320_02/)
私たち100年生活者研究所は、この数値を低いと捉え、「100歳まで生きたいという希望」を持つ人をより多く生み出していくことを目指しています。
しかし、この“3割弱”という数値は、他の国と比べても低いのでしょうか? これを明らかにするために、今回私たちは、比較のための調査を西洋のアメリカ、フィンランド、そして東洋の中国、タイで、実施しました。
日本は、「100歳まで生きたい」人が圧倒的に少ない
まず、日本は、平均寿命世界トップクラスであるにも関わらず、比べると「100歳まで生きたい」人が圧倒的に少ないことがわかりました。
日本以外の4国は、「100歳まで生きたい」層が過半数で、特に、中国、アメリカは高い傾向がみられました。
【国別 100年人生意向】
日本は、幸福度も低い
また、「自分で自分の幸福度を点数付けする」主観的な幸福度でも、日本は他国と比べて低いという結果でした。
【国別 幸福度】
一人当たりGDPなどを含む複合的な指標で幸福度を評価した、世界の国の幸福度ランキングが、毎年3月20日の国際幸福デーに発表されます。23年度、日本は137カ国中47位でした。フィンランドは6年連続の1位、アメリカは15位、タイは60位、中国は67位です。
今回の、アンケートでは、そのランキングで日本より低かったタイと中国よりも低くなっています。つまり、環境を含む総合的な指標ではタイや中国よりは高いと考えられているにも関わらず、主観的な幸福度では低くなってしまう、ということです。
また、結果を点数別の分布でみると、他の国は人数の多い点数が一か所に固まっていて、グラフの形がひと山であるのに対して、日本は7、8点と5点が高いふた山になっていることがわかります。
【国別 幸福度の点数分布】
「100歳まで生きたい」は、幸福度と関係している
下のグラフは、幸福度の高い人、中位の人、低い人で分けたときに「100歳まで生きたい」との意向がどのように変化するのか、を各国別に見たものです。
これを見ると、日本でもそれ以外の国でも、幸福度が高いほど、「100歳まで生きたい」割合が高くなっています。日本だけでなく他の4国でも、幸福度と「100歳まで生きたい」との意向が関係していることが見て取れます。
【幸福度別 100年人生意向】
これが現状です。
事前の想定通り、日本の「100歳まで生きたい」の数値は他国と比べても、明らかに低い。
なぜ、このような事態が引き起こされているのでしょうか、そしてどのように立ち向かっていけばよいのでしょうか。
ここからは、二つの仮説を提示します。
仮説1:平均寿命が高いからこそ、逆説的に「100歳まで生きたい」と思う人が少なくなっているのではないか
先ほどの国別調査とは別に、100年生活者研究所では日本のオンライン会員を対象に毎週アンケートを実施しています。そこで「100歳生きることは不安が増えることか、チャンスが増えることか?」という質問を行ったところ、「不安が増えること」と考える人がはっきりと多くみられました。彼らにとって、長生きはリスクなのです。
【100年人生の捉え方】
高齢者が多い日本では、年金2千万円問題、老々介護などの「長生きに伴う問題」についての情報が広く流通しています。ニュースだけでなく自分の周囲からも、健康、経済、人間関係、社会環境のそれぞれで、長生きに関連する問題の話が自然に入ってきます。日本では、長生きの負の側面が、他国と比べて見えすぎているのです。
日本では、自分の将来にどのようなリスクがあるのかが、はっきりと認識される。そのことが、100歳まで生きたいと思う人が少なくなるという結果をもたらしているのではないでしょうか。
しかし、本来リスクが見えていることは悪いことではありません。
リスクが見えているからこそ、それを乗り越えることも可能になるとも言えます。ピーター・バーンスタインの『リスク:神々への反逆』によれば、リスクの語源は「勇気を持って試みる」ことだとされています。リスクは本来、受動的なものではなく、能動的に未来を選択する意味を持っています。語源的には、イタリア語のriscareに由来し、「断崖絶壁を航行する」「危険を冒す」という意味を持っていたそうです。
私たちが、長生きに関連する問題を世界一はっきりと見ているのであれば、それに対して「勇気をもって」立ち向かい、解決する可能性も世界一高いと言えるのではないでしょうか。
ここで、もう一つのデータを紹介します。現在の日本で、100歳の人々がどのように認識されているかについて調べたものです。
調査の結果、100歳までの長寿は国に祝われるほどの“おめでたいこと”であるにも関わらす、半数近くの人から「100歳の人は大変そう」とみられていることがわかりました。
【100歳の人の見え方】
そして、このデータを「100歳までいきたいか」という調査結果と掛け合わせると、「100歳の人が大変そう」に見えている人たちは、「100歳まで生きたい」人の割合が低い。それに対して、「100歳の人が幸せそう」に見える残りの半数の人は「100歳まで生きたい」という気持ちが明らかに高いこともわかりました。
つまり、私たちが100歳の人を幸せそうだと感じるようになれば、自分の100年人生も前向きに、希望を持って生きていけるようになるのかもしれません。
【100歳の人の見え方別 100年人生意向】
私たちは、現実に高齢者の多い社会に生きています。そこには、「幸せな100歳」「幸せな長生き」のモデルになる人たちが、すでに存在しています。彼らは、長生きに関連する様々なリスクを乗り越えることができる「生きた証拠」と言えるでしょう。
その人たちにスポットライトを当て、はっきりと見えるようにすることができれば、リスクと同じくらい長生きによるチャンスも見える社会になるのではないでしょうか。
仮説2:アンケート回答傾向に潜む日本人の集団主義が「100歳まで生きたくない」という感情につながっているのではないか。
もともと日本人はアンケートで中間的な選択肢を選ぶ傾向があると言われています。前述の【国別 幸福度の点数分布】のグラフを見ると、今回の調査でも、5点を選ぶ人が日本だけで多く見られています。この傾向の説明としてよく言われるのが、日本人には集団主義的な傾向が強く、社会や他者との関係性を重視する性質があるということです。
幸福度の質問でいうと、自分が幸せでも、周囲の人が幸せでなければ、人や社会との関係が悪化するかもしれず、よくないことになりうる、という考え方は、日本の私たちにとってはそれほど不自然な考え方ではないでしょう。自分が周囲の人たちよりも幸せすぎるのはよくないと考えるならば、バランスを考えて幸福度5点につける人が多いのも納得できます。
私が巣鴨の研究所のカフェで行ったインタビューでは、「100歳まで生きたくない」という理由として、「歳をとると誰かの世話にならなければならない。長生きして迷惑をかけたくない」という意見が多く見られました。
これを受けて、会員にアンケートを実施したところ、ほぼすべての人が「迷惑をかけたくない」と考えていることが明らかになりました。ここには、周囲の人々との関係性を重視する、周囲のひとに気遣う、という日本人の特性が現れているのではないでしょうか。
【100年人生の迷惑意識】
しかし、「周りの人を気遣う」ということは、決して悪いことではありません。
この心理の裏返しとして、「人の役に立ちたい」という思いも強く見られています。
【100年人生の役立ち意識】
「人の世話をして、人の役に立つ」ことは、無理のない範囲であれば、日本人にとっては決して迷惑なことではなく、むしろ「積極的にやりたい」こと、といえるでしょう。
高齢者の世話を、「人と社会に役立つこと」として当たり前に認識できる社会になれば、「長生きは迷惑」とは思わず、100歳まで生きたいと考える人も増えるのかもしれません。
たとえば介護で考えても、現状では家族にかかる負担が大きすぎるようにみえます。高齢者が頼る相手が限られ、そこに全ての負担がかかっています。その様子を身近に見ると、自分はそんな負担をかけたくない、と感じる人も増えるのも自然なことだと思います。
これから、もし高齢者の世話が「人と社会に役立つこと」と認識されるようになり、「頼る相手」を家族以外のより多くの人や組織に分散させ、みんながみんなを頼り合うような社会になれば、迷惑や負担をかけるという意識も薄まっていくのではないでしょうか。
人に支えられた、幸せな100歳が見える社会を
ここまでに、「100歳まで生きたいと思う人が少ない」という現状を生み出しているのは、日本社会の特徴、日本人の心理特性に由来するのではないか、という仮説を説明しました。
この現状を乗り越えていくために、みんなが無理のない範囲でサポートしあう社会。サポートする側が「役に立っている」と感じ、サポートされる側も「迷惑をかけている」とは感じない社会。
このような社会を目指していくべきではないでしょうか。
先日、100年生活者研究所で75歳を超えた方に話を聞かせていただきました。
その方は、はじめ「自分のことはなんでも自分でできるようでなければ、長生きしても仕方がない」とおっしゃっていました。その一方で、「遠くない将来、いつかは人に頼らなきゃ立ち行かなくなる」ともおっしゃっていて、「その時は、まずデイサービスに週二日通おうかな」と、「人にたよる日」が来ることをわかった上で、それを具体的かつ前向きに考えているようでした。
歳をとり、できなくなった事を人に頼るのは当たり前だと思います。そもそも、社会とは、人という不完全な個ができることをして、他の人のできないことを補い合い、全体としてうまく回るようにするものではないでしょうか。超高齢化社会の日本においては、この社会の持つ「そもそもの働き」が求められています、
周りの人に支えられながら、長生きのリスクをしなやかに乗り越えた、100歳の人の姿が見えるようにすること。それが「100歳まで生きたい」との希望を生み出すことにつながると思います。
そして、同時にそれは100歳の人が、社会の役に立つ、ということでもあるのです。
〔100年生活者調査 ~国際比較篇~〕
■調査目的 :他国と比較して、日本の100年生活の実態について把握する
■調査手法 :インタネットモニター調査
■対象地域 :アメリカ、フィンランド、中国、タイ
■調査日時 :2023年3月
■調査対象者 :20代~70代の男女 各国600名 合計2400名
■調査会社 :株式会社クロスマーケティング
〔100年生活者調査 〕
■調査目的 :100年生活の実態について把握する
■調査手法 :インタネットモニター調査
■対象地域 :日本 全国
■調査日時 :2022年10月
■調査対象者 :20代~70代の男女 2400名
■調査会社 :株式会社アスマーク
〔LINE会員調査〕
■調査目的 :人生100年時代に対する認識と態度を把握する
■調査手法 :LINEによるアンケート調査
■対象地域 :日本 全国
■調査日時 :2022年3月
■調査対象者 :100年生活者研究所 LINE会員(20~80代男女) 1604名
〔LINE会員調査〕
■調査目的 :これからの社会と自身の変化についての認識を把握する
■調査手法 :LINEによるアンケート調査
■対象地域 :日本 全国
■調査日時 :2022年3月
■調査対象者 :100年生活者研究所 LINE会員(20~80代男女) 535名
一人ひとりが100年間の人生を、100%生ききることができる社会を目指し、
研究に取り組んでいます。
共著に『マーケティングリサーチ』。